HSP 3期 やわらか勉強会 (年金問題について)

10月31日(水)に、東大HSP3期の「やわらか勉強会」で、3期の仲間である関原さんを囲んで、年金問題について勉強する機会がありました。関原さんはプロの患者として、数多くのがん手術を経験し、がんを克服し、がん医療のあり方に関して多方面で活躍されています。今回は、関原さんがお仕事柄、年金の問題にお詳しいこともあり、また医療だけ、健康保険だけを語るのでは視野が狭まってしまうこともあって、勉強会の講師を務めていただいたようです。
 とても勉強になりました。同時に自分の考えの浅さや行動していないことに対して深く反省をしました。関原さんは私たちにいくつかのメッセージを送ってくださいました。
 一つは、年金はいくら支払うかは、決めればいいことだが、健康保険はそれだけを労働の対価として受け取る人がいるからより複雑である。
 年金を支払えない人たちが増えている。払わなければ(払えなければ)年金ももらえない、ということで本当に良いのだろうか。
 年金は保険である。支払った分全額もらうという考え方がそもそもおかしい。暮らしていくよりどころがなくなったから、年金をもらうというのが本来の姿。支払ったのだから、何歳になったら全員がもらえます、というのは保険ではない。
 年金は申請主義を取っている。住所の変更、苗字の変更、就職先の変更は自らが申請し、自らが年金を受領するための手続きを行うことは当然申請する側の義務であるという考え方である。私は、そもそも保険とはそういうものであるが、民間保険などでは営業活動の一環としてそういった義務を補完してきた。それがいつの間にか保険の認識をゆがめたのかも知れないと思いました。行政が申請もされていない住所変更を背番号もなくトレースするのは筋が違うという考え方もあるということである。
私は関原さんの話を聞いて、年金をトレースし、もらえるように準備するのは国民の義務であることに気づきました。そういう意味でまさに無関心であり、やるべきことを怠ってきたと反省しています。また、国民が怠っていた義務をまた税金をかけてフォローするというのは、膨大な財政赤字がある中で正しいことなのだろうか、と気になりました。
 私は本当は年金など要らないのですが、くれるというのでもらっています、という人に会ったことがありますが、本来は、そういう場合に申請しなくても良いことが保険である、と考えることもできます。
必要な人にお金がいかず、必要でない人にお金が行ってしまう、それも私のように年金について不勉強な人の世論にこうしきれずに制度がゆがめられるとしたら、とても危険なことだと思いました。
 医療保険も同じで医療について正しい認識を持ち、主旨に基づいて行動する個人や組織にならないと、お金はいくらあっても足りないな、と感じました。

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