戦略を10行で書いてみよう(好かれるワケ 嫌われるワケ8)

 若いころ、事業部長から報告書を簡潔に書くように指導を受けたことがある。いわく「トップは時間がない。A4版1枚でまとめるべし」。なるほど、仕事での報告とはそういうものなのか、を感想を抱いた記憶がある。確かに、いいたいことを簡潔にまとめることは大事だろう。要領を得ない文章を長々と読まされるのは苦痛以外の何者でもない。しかし、決まりきった判断や行動を報告する場合はそれでも良いだろうが、顧客の要求の変化を探索したり、今後の行動を検討する場合には、それは必ずしも正しいこととは限らないのではないか。
 「抽象は具体的な感覚的事実を基にして、階層的に積み上げられることになる。・・最初は具体的な感覚世界から立ち上げられた言葉が、階層が上がるにつれて、諸国語の中では、違った範囲の概念を包含するようになる」(養老孟子)
 抽象的な言語はそれぞれの固有の文化や暮らしの中で、それぞれの経験を抽象化している。Culture と文化という言葉がどの経験から抽象化されたかが、日本とヨーロッパでは異なるため、言語の範囲が異なるようである。ここから類推すると、日本の中でも、経験が異なると同じ言葉でも受け止め方が異なってくると考えられる。質という言葉に、美的な感覚をこめる人もいれば、基準に合致するという意味で使う人もいる。
 顧客のニーズを探るとき、顧客の情報はなるべく生のままで共有しなければならない。直接顧客の声を聞いた人が総括すると、その人が注目している事実だけを基に抽象的に顧客のニーズが報告されてしまうからである。その人の感覚が優れている場合は良い。しかし、そうでない場合、まとめる段階でその人の関心ごと以外の情報はげずられる。また、読むほうが同じ経験をしていないと抽象的なニーズを提示されたものを、感覚的に理解することができない。
 また抽象化した言葉を羅列すると、人は一つひとつを分けて吟味する傾向があるのではないか。分析的なアプローチになれてしまうと、総合的に検討するということができない。「使うと便利」というニーズと、「持っているだけで優越感」というニーズを検討するとしよう。組織が大きくなると、便利さを感じる機能とは何かという各論と、持っているだけで優越感を感じるためのアプローチという各論を別個に検討されてしまう。大事なのは、優越感を感じるような、使うと便利な機能を考えることである。二つに分けて提示されるか、一つで提示されるか、人の関心の持ち方を変えてしまう。
 こう考えると戦略を検討する際も、体言止めでかかれたパワーポイントを使って検討するというのは、どのくらい共通の理解で、総合的に検討できるのか、怪しく感じられる。最近、戦略はストーリーで語る、という言葉をよく聞くが、それは結局、感覚的事実を共有しながら、総合的に戦略を検討してくことの重要性を述べているのではないだろうか。そして、感覚的事実を共有しながら、組織に展開し、実行していくほうが、目標の連鎖だけで展開していくよりも効果的であるということを示しているのではないだろうか。戦略を10行で記述してみてはいかだだろう。
(参考:養老孟子 万物流転25 思考の現実「考える人」2008年夏号)
(この記事は、生産性新聞2009年3月15日号に掲載されたものです)

コメント

人気の投稿