普通から飛び出していく

振り返って見るとこれまでの人生は、両親が経済的に苦しい思いをすることなく暮らしてほしいという願いをまっすぐに受け止め、自分なりにもがいて得られたもののような気がする。父は、早稲田高等学院に入りながらも大学に進学せず、長崎県佐世保市の実家に帰り、母と結構し、福岡で、西鉄ライオンズの選手がやっていたお店をひきつぎ、生活の糧としていたが、それを閉じ、東京に来て、自動車会社の部品会社で外国人のアテンドをしたのち、生産現場で仕事をした。そのころの家は、とても狭く、私の小さな友達が、母に「おばちゃんの家、小さいね」と語ったくらい狭かった。

 両親の努力と高度成長の恩恵で徐々に生活は楽になったし、小さいころに貧乏で苦しんだことはないが、それでもコンタクトレンズをねだることや、学校帰りに買い食いができるようにおこずかいを増やしてもらうことをお願いすることはできなかった。 

 小さいころの私は、女の子によく間違えられた。皆から愛されているのを感じ、皆が喜ぶだろうとすることを自然と演じられる子であった。それが講じて、場をわきまえない態度を取ることもあったし、皆に楽しんでもらおうと、今読むととても恥ずかしい文章を書いたりしていた。 

 そうした子供も大人になるにつれ、常識をわきまえ、社会人になるころには、普通の会社員になっていった。それでも、他の人から見ると、会社生活は普通の人の行動を逸脱していたかもしれない。しかし、今、振り返るとそれは普通であることの範囲の中であったことがよくわかる。

 普通とは何か。それは、多様な考えや行動をもつ社会人の最大公約数の範囲で生きることと泉谷開示さんは言う。社会の規範と思われることを大事にし、それから逸脱する人を批判し、あるいは仲間ハズレにする。

普通の生活に慣れすぎ、本当にやりたいことはわからず、来た玉を打ち返しながら、いつの間にか多くの時を過ごしてきた。 普通の生活から離れ、自分のやりたいことを見つけ、それをやり続けている人 の声や情報に接すると、自分にはできないと自己限定してきたが、残りの人生を考えて、もう普通はそ卒業してもいいのかな、と思う。

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